人生で通り過ぎていく人

すごく好きだけど遠い距離のまま、出会ってからさほど変わらない関係のまま別れていくようなことが稀にある。

私にとってそれは、名前の知らない後輩であったり、研修先のイケメンなバイトくんだったり、たまたま知り合ったモデルのお兄ちゃんだったりする。

 

私はその人たちのことがとても好きで、この先も好きであり続ける自信さえあるのに、名前のある関係になることは出来ずに、予定された別れを迎える。縮まらない距離があるんじゃなくて、たぶんこの距離がベストなんだっていう直感があって、だから出会った時に感じ取った別れのタイミングで、静かに関係が終わるんだ。それは空気が入れ替わるみたいにごく自然なことなのだ。

 

私にとってそれはすごくロマンチックなことで、そして少し寂しいことだ。そりゃそう。だって好きなんだもん。でも欲張って何かが壊れるよりはずっとマシ。壊れるものが何かは分からないけど、マイナスに向かうことが分かっているなら、何もせず綺麗なまま終わりたい。

それに私が感じている魅力なんかより、相手が私に感じている魅力が、私のワガママで損なわれることの方が嫌だった。

 

良い奴でいたかった。

私と関わってくれた人達が、私と触れ合ったことを後悔しないように。

例え、正しさから遠くてもそこを目指したかった。

だからワガママなんかで、私の価値を下げたくはない。私が積み上げたものを私が壊す、なんてことが怖くて怖くて仕方ないんだよ。

 

それでも彼らはそうしたものを何一つ知らぬまま、私の人生を通り過ぎていく。どれだけ引き止めたとしても、ワガママを言ったとしても、きっとそれは変わらない。ならば残していってくれたものを大切にする他ないのだ。

それが彼らの本質とかけ離れていたとしても、私の前ではそれが全てだったから。そこに正しさなんか要らなかった。

私の目を見て話してくれた人。呼びかけなくても話し相手として認識してくれた人。どこかで私を勇気づけてくれた人。

私は彼らが愛おしくて堪らない。

 

彼らとの別れは私の人生において、貴重な練習の時間だ。別れに慣れる練習。別れたくはなかったけど、仕方ないから糧にする。

その中で、絶対なんて言えないけど、出来るだけ遠くまで彼らとの記憶を持っていきたい。なるべく多く。本当なら全部。忘れないから見届けてね。あなたが私の一部を形成したから。

彼らとの記憶は私にとってお守りのようなものだった。大事に取っておきたい。それが私の強さになると信じて。

 

 

ありがとう。さようなら。

きっと何も、間違いじゃないよ。