すぐに飛躍してこの世から消える

このブログを書き始めようと思って、何を書きたいか考えていた時。どんなのがいいかそれなりに案があって、そのいくつかは弟や母の事だった。

それらを書く時どのエピソードから書くのか。どこまでなら書いていいのか。考えているとふと思ったことがある。

 

もし私が死んだら、このブログが遺書よりもずっと生々しく家族を愛していたと伝えるものになって、これを見つけた家族は泣き崩れるのではないだろうか、ということだ。

 

なんて飛躍した考えだろうと思う。まだ書いてないし、そんな早くに死ぬつもりもないし。そもそも泣いてくれると思い上がってるし。

でも、この飛躍した考えこそ私で、私はそれを楽しんでいた。加えて、これは今に始まったことではない。

昔から空想するのが好きだった。現在を入り口に近い未来へ向かって。出来るだけ遠くに行きたい。頭の中で、フィクションだらけでいい。たくさん想像して味わえないであろうロマンを用意して、退屈な現実からも飛躍して好きなものに囲まれる。

 

そうして私が夢中になっている間、きっと私はこの世から消えることができる。将来への不安も、友人への苛立ちも、つまらない悩みの種も。その一切合切を忘れ去って、数十秒の旅に出る。映画のように理屈的でなく、どちらかというと夢に近い。起こりえないことが起こり、何故かそれを受け入れられる自分がいて、近からず遠からずな友人が突然顔をのぞかせたりするのだ。ありえないからこそ自由で、その突拍子のなさが面白かった。

 

何を言っているのか理解して貰えないのだろう。ただ友人に好きな曲を勧めるように、漫画の新刊について語りたいように、私も私の好きなものについて語りたかったのだ。

今回も何を書こうかという入り口からこんな所まで来た。この過程を楽しんでもらえたならきっと、貴方も私と同じ側の人間なのだと思う。頭の中だけは自由で、考え方だけは何者にも犯されない。私が私でなくなる瞬間を愛していたい。

そう考えている間、やっぱり私はこの世にはいない。