ボトルメール

人生なんて、世の中なんて。

分からないことだらけだ。

 

今日たまたま短大でお世話になった先生と会った。お互いに最近どうだったとか話をして、先生がこう言った。「お互い社会の荒波に揉まれまくってるなぁ」と。先生の目には憂いのようなものが宿っていて、自分が感じているものと同じような感情を解決できずにいるのかもしれないと、そう思った。

 

大人になってから悩んでばっかりだ。仕事で壁にぶち当たる度に自分の弱さと向き合わされ、考えさせられる。そもそもこの仕事を選んで良かったのかとかも考える。大人になるってどういう事だろうとか、大人ってどう在るべきなのかとか、自分の中で不透明になっていくイメージにも思考を巡らせる。

世界の広さを知って、身の丈を知った時、昔よりずっと弱くなった気さえするのだ。

 

右も左も分からない荒波に呑まれて、ただ溺れまいと波に捕まっているだけの少年は自分の手で進路なんて決められない。

『選ぶって贅沢で、だるい』

色んな弱さを抱えて、私は自分の日本語さえ捨て置こうとしていた。

 

 

そんな時、ある友人に言われた。私の文章をまた読み返したんだよね、と。そう言われてふと、また別の友人がこうした文章を残していたことを思い出し、私も他人の文章を漁りに行った。

その人の文を読んだ時、昔と同じような感動を覚えた。ずっと前に読んだ時の気持ちが仄かに思い出されたようだった。

 

この長い人生の中でずっと同じ場所にいる人なんていないのだろう。私もそう思うから、私が好きなその文を書いた人が今も同じ気持ちでいるかどうかはどうでも良かった。

ただ、生きていく途中でその人がそう考えた時間が確かにあって、一時の感情が偶然にも文章として残っていたのだと、私は解釈した。

インターネットという波に揉まれ、時間を超えて私の手元に届いたそれはもうこの世の何処にも無いかもしれない絵空事だったとしても、その文章は間違いなく私を勇気づけてくれていた。

 

だから私も、この迷いや悩みを私の好きなように書き記そうと思う。小説にもエッセイにもならない世迷言を私なりのペースで吐き出していこうと思う。

 

積み上げたものはあっという間に崩れ去る。

時として結果だけが残るような世界で、

誰にも認められなかった感情を海に流すから。

あなたや私が孤独にならないように、お互いの影を私の言葉が持つように綴っていきたい。

 

 

 

 

結局分からないまま、ただ生きやすくならないかなって、そう願いながら日本語にしがみついてるだけだよ。

こんな大層な言い訳をしないと、捨てたものも拾えない。これは情けない弱音なんだ。

だから、なんでもないよ。

これを拾ってくれたあなたが私みたいになりませんように。ささやかだけど祈っておくね。